三木家(飛騨戦国史)

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緩やかな統一体制を築いていた三木家であったが…?

目次

シナリオ背景

応仁の乱終結から80年程、武田、上杉、織田などの後の戦国の列強国が自国内の統一や周辺国の切り取りに没頭している頃。

ここ飛騨国ではすでに益田郡の三木家当主、三木直頼によって国内の諸豪族の大半を従え、
平穏の時を過ごしていた。

飛騨国内のゆるやかな主従同盟関係のもと、飛騨一国としての統率を保っていたかに見えたが
この現状に満足しない者が一人いた。

その者の名は三木自綱、いまだ10代の若者である三木直頼の孫である彼は、飛騨国内の小豪族たちを属国にし、それで満足している祖父や父のやり方に疑問を抱いていた。

「飛騨の土豪たちはまだまだ力がありすぎる、これではいつ三木家の覇権が揺らぐか分からない、ならばこれらを滅ぼし、三木家による飛騨国の完全掌握をせねばなるまい」

飛騨国に戦乱の種が成長する中、近隣国に戦国列強の影が忍び寄っていた・・・

(シナリオより)

このゲームは、周辺大名の支援を受けながら、飛騨統一を目指すという形のシナリオ。色々調べたけど、周辺諸国も飛騨でグレードゲームを楽しんでいた様子である。
30年統一できないと、中央政権が乗り込んでくる。史実でも1585年に金森長近率いる飛騨征伐隊によって、姉小路家は降伏、金森氏が支配することとなった。

飛騨統一を目指し、頑張っていきたい。

諸侯解説

初期方針

とりあえず、三木家に隣接する田口家から切り崩す。
益田郡を平定した後は、近くの諸侯から各個撃破していきたい。

序盤


  1. 1554年1月。 上杉家に従属。田口家は武田家に従属した。
    西飛騨・中飛騨諸侯の多くは上杉家に従属、自国に隣接するのは高山家・飯山家・一宮家の3つ。いずれも中央部の飛び地に隣接しているが、何とか救出できるだろうか。


  2. 1554年1月、下呂森城を制圧。


  3. 1554年2月、牛臥山城は同じく 斎藤家に従属する今井家に包囲された。
    高山家の石光山砦ががら空きだったのでそこを攻めて中央部での勢力を伸ばす。
  4. 1554年4月、足軽兵が増加。これがあると釣り出しをする際の計算が面倒になる。まあなんとかなるけど
  5. 1554年5月、石光山砦を占領。兵力増加で苦戦するも一宮水無神社・保木山城も占領。
  6. 1554年11月、姉小路古川家が滅亡、三木家が姉小路三木家と改称しその名跡を継ぐことになった。

1554年終了時点での飛騨上位10傑の勢力図は以下の通り(●は上杉、★は斎藤、◆は武田)。

  1554.1 1555.1
●三木家 3546 4925
◆江馬家 2608 3066
★小鷹利家 1721 1965
●内ヶ島家 1573 2243
★塩屋家 1087 1375
 ●小島家 1087 1077
●鍋山家  994 1504
◆一宮家 940 445
●広瀬家  747 1062
★高山家 738 (滅亡)


(画像は1554年12月、このターンに一宮家の山下城を奪取した)
一宮家は周囲の斎藤派勢力に領土を削られ、高山家に至っては滅亡している。

1555年

武田家に鞍替え。


1555年2月、南部はまあまあ統一が進む。
北側の飛び地2城は捨てて、南部(久々野・萩原エリア)平定に全力を掛ける。


1555年9月、飯山家を滅ぼす。2名を登用。
その後は一進一退の攻防が続く。途中、大規模な新田開墾を行い、民忠誠率を上げた。
丸一年近く包囲されてきた三技城だったが、この秋の豪雪で包囲隊が撤退、事なきを得た。

1555年終了時点での飛騨上位10傑の勢力図は以下の通り(●は上杉、★は斎藤、◆は武田)。

  1555.1 1556.1
◆三木家 4925 7650
◆江馬家 3066 2940
●内ヶ島家 2243 2139
●小鷹利家 1965 1870
●鍋山家 1504 1645
●塩屋家 1375 1301
 ◆小島家 1077 1077
●広瀬家  1062 1673
●岡本家  815 830
◆東藤家 709 691

台風の影響で多くの地域で停滞が進む中、三木家は一気に勢力を伸ばした。
なお、前々年10傑に入っていた一宮家は滅亡させた。
今後は高山盆地方面に勢力を伸ばしたい。

1556年~1557年

包囲先が山田家のみに。


1556年10月、山田城を陥落させ、ついに三技城との接続が完了。そして1万石到達。


1557年4月、高山盆地を制覇。同時に朝日・高根方面を分断。
古川・国府方面も豊かなので進出していきたい。


1557年9月、後に「飛騨の関ヶ原」と呼ばれそうな戦い、山崎城の戦いが起きる。
飛騨全土で3000人くらいしかいない中、両者で1000人ほどを集めた合戦である。


結果は三木軍の圧勝。江馬家は弱体化の一途をたどることになる。
(よくよく考えたらWin+Alt+Prtscrだと下部が見切れることに気づいた。ほんま謎である)

ちょっと長くなったので分割→後編


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