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今回は旧版戦国史の「古琉球史~三山統一への道~」をプレイ。
琉球 三山分立時代
1300年代後半、琉球は中部を支配する中山王、北部を支配する山北王、
南部を支配する山南王による三山分立の時代を迎えていた。
三山は、村落の指導者である「按司」達の連合により成り立っており、
三山の王はその代表にすぎず、その支配力は強固ではなかった。
この時代の琉球では、明や東南アジアとの交易が盛んに行われるように
なり、交易による経済力の優劣が三山の勢いを左右するようになる。
また、琉球南部では、現在は佐敷地方の一按司であるが、後に琉球を
統一し第一尚氏となる尚巴志(この時はまだ尚性は名乗らず)が、
明との貿易により着々と経済力を蓄えていた・・・。
プレイするのは尚巴志。史実で琉球を統一した人物だ。
1395年4月、大里城に侵攻。早々に王家にたてついてみる。
しかし旧作の画面も、なんか新鮮。
徴兵も一発でMAXにはできないので、ちまちまと。
本作の外交画面、「連合結成」というものも用意されていたらしい。
1396年2月、東風平家・具志上家と不戦。首里家を狙う。
そういえば当時は智謀値=野戦統率だったらしい。
1396年5月、国頭家が北山に滅ぼされる。
1396年6月、首里家を制圧。
1396年12月、浦添城を制圧、中山家の武将3人を捕虜に。
真壁家を臣従、南部の諸按司を従属下に。
1397年3月。
ここからが面倒なところ。
さっさと臣従志願すれば楽なのに…
1397年5月、降伏しない中山王家の捕虜に切腹を命じた。
1397年6月、金武家を従属させ、いよいよラスボスの山北王家との対戦がやってきた。
結果は圧勝(しかも臣従軍の半分で)。これにより、琉球の覇権は得たも同然になった。
1398年1月、名護城を制圧。
同月、北山の怕尼芝が病没。攀安知が次代の北山王となった。
なお、Wikipediaによると「怕尼芝」「攀安知」は特定の人物というわけではなく羽地の按司を指す言葉なんだそう。
壊滅寸前に追い込まれた山北王家は、ついに臣従を申し出た。
これをもちろん承諾し、ここに尚家による琉球統一が成し遂げられた。
まあ単発くらいなら、こんなもんでもよかろう。
尚家が普通に強いので、3つ城取ったら余裕でクリアできた。
あと、港が多かったので資金面には困らなかったのは大きい。
でも、直轄領が沖縄の南東岸と那覇、北部だけってのも面白いですよね。
…伊江にまで逃げ込んだ山北王家は名護の按司が王だったりしてましたけど。
おわり