大友家

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概要

大友宗麟などが非常に有名。
平安時代から続く名家だが、史実では豊臣政権時代に改易されている。
一時は北九州一帯に勢力を広げていた。ピークは1560年代~80年代。
当主は大友宗麟こと大友義鎮。この年に「二階崩れの変」で前当主・義鑑(よしかが)が亡くなった。

国力

直轄が19万500石、臣従大名含めると35万1000石となっている。臣従大名を含めた順位は6位。1位の大内家が真上にいるが、イベントですぐに崩壊するので問題ない。
九州に領土を持っている大名だと、25位の島津家、34位の阿蘇大宮司家が大友の次に来る(大内傘下の豊前杉家が27位)。その点、大友家は鳥なき島の蝙蝠な故、九州統一が容易いと考えられる。ちなみに九州全域で200万石に達し、この国力なら天下統一も簡単である。

武将

戸次 鑑連(べっき あきつら)という武将が強い。通称、ベッキー立花道雪であり、こっちのほうが一般的。武9、野戦統率7は全国有数。

大友家直属の武将は計10人。

初期の方針

初期戦略

  1. 九州の諸豪を不戦・従属・臣従。
  2. 1550年7月に阿蘇大宮司家を屈服。
  3. 島津家は滅ぼす方針。
  4. そんなこんなで、1年で石高151万石。ただ直轄領は少なめ。
  5. 3年で九州統一。陶・毛利・尼子を従属。

中盤~終盤

  1. 1554年1月、四国平定。
  2. 1554年4月、堺・岸和田城を制圧。
  3. 1554年12月、毛利を臣従。
  4. 1556年12月、関ヶ原ラインを突破。
  5. 東征。
  6. 1558年11月、統一。直轄518万5059石/臣従含1977万4810石
  7. 最後端折ったためデータなし。でも多分関東が最後かな。

感想

簡単すぎた。中盤以降は押すのみだった。
また直轄領が少なかったので臣従が遅れた。

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