根来衆

※縮小された画像はクリックで拡大します。

概要

「ねごろ」と読む。値頃ではない。

Wikipediaによると、現岩出市にある新義真言宗の根来寺を中心に栄えた僧兵集団なんだそう。近くにはライバル的存在の雑賀衆がいる。

当主は津田算長(かずなが)、通称は監物とのこと。種子島の伝手があったらしく(種子島出身説もあるとか)、早々に鉄砲を入手して津田流砲術を開祖したとかなんとか。弟に杉坊明算(津田明算)がおり、ゲーム開始時ではこの2人が家臣となっている。

史実では織田信長とは関係が良かったものの、後に天下人となった豊臣秀吉とは関係が悪く、紀州征伐により根来寺一帯は灰塵に帰すこととなる。

根来寺の画像はこちらにある

戦略

ゲームでは、史実でもライバル関係になった雑賀衆が中期的なライバルとなるだろう。
武将も2人では心許ないので、かき集める必要がある。

三好家の飛び地と隣接するが、初期時点では安宅家の2人しか接続圏内におらず、正直敵ではない。
あとは、鉄砲生産を安定させるため紀伊の直轄領も増やしたい…が、この辺の城はガチガチすぎてたまらない。
雑賀衆の雑賀孫市は智謀9なので、攻め込むなら倍数以上の兵力でかかるしかない。雑賀寺の国力は高いので従属・臣従要求にも早々に応じないだろう。
武力が7と6なのは、最序盤の肉兵戦には大変ありがたい。

序盤戦略さえ超えれば、劣化三好くらいにはなれる。

序盤

1550年4月~6月、当然の権利で大隅蒲生・浅利・宇野と同盟を結ぶ。
1550年8月、宇野家から宇野政頼・宇野村頼が落ち延び。貯めておいた鉄砲を配備。
1550年9月、大隅蒲生家から蒲生茂清が落ち延び。豊作だったので税金は70%にした。船も作らなあかんし。

阿波細川攻めと対抗などの関係で武将が4人も集まっている。まあ別に…だが。


1550年11月、岸和田城を落とす。3城6人の中堅大名に。
それでも砲撃要員は欲しいので、各地の小大名に営業に回る。


やはり鉄砲は強い。倍以上の差があった敵を見事撃退。

1551年6月、堺を制圧。


経済4700と滅茶苦茶豊かな土地である。
三好はここを失ったことにより全商業値の1/3を失うことに。

1551年12月、石山城を制圧。三好本体と隣接することに。


1552年3月、瀧山城を制圧。港5個目ゲット。

1552年5月、三好家の資金がマイナスに。やはり堺・岸和田を失ったのは大きいようだ。

戻る