南葛ウィングス

※縮小された画像はクリックで拡大します。

キャプテン翼、自分読んだことないのであまりわからない。翼ってキャラクターは知ってるけど。

概要

スタートは1994年1月からのようだ。


最初は日本を舞台にしたトーナメントを戦うようだ。
初戦はネッツ東日本。

1994年1月

兵力をナポレオンに集中させる。

初戦のネッツ東日本と対戦。兵力ではこっちの方が上なので難なく倒せそうだ。

鉄砲、もとい必殺シュートで兵力を温存しながら勝つことに成功。

1994年3月


準決勝は東都大SVとの対戦のようだ。
このシナリオ、1回戦や準決勝でも商業開発(クラブ経営)ができる様子。勝ち進むことで知名度が上がると置き換えればいいのか。

1994年3月、ネッツ東日本を滅亡。武力6の和夫ら計7人を登用した。

サッカー場から落ち延びるとは一体。(引退した、ということか)
ちょっと操作ミスで世界線が変わっているので、↑では政夫ではなく和夫が落ち延びていることになっている。

1994年4月

宿敵設定がおかしいのか、欧米ではチームが不戦同盟を結んだりリーグが従属下に入ったりしている。いいのかこれで

ナポレオン1人で東都大SV、井沢1人で静南ミラクルを攻める。まあそんな漫画やったしな(?)

1994年7月


決勝に勝利。韓国代表と戦いつつ、残りを倒す。
決勝は武蔵ローレルとの対戦だったらしい。

次は韓国代表なのだが、それを包囲する中国代表と対戦してからになる。ゲームの仕様とは言え、よくわからんことになっている。


韓国で中国代表との合戦を行います…よくわからんことだ。


一方武蔵ローレル戦は、キャプテンの三杉に翻弄されまさかの敗戦。

必殺技使いのナポレオンを投じて再戦。

韓国は既にフィリピン・タイの代表を下していた模様。

1994年残り

10月、松山君が復帰。能力も結構高い。

11月、日向君・若島津君が復帰。武蔵ローレルを下し、三杉を登用。

1995年

1月、日本代表が結成されるが、三杉が離脱。岬・新田が復帰。
2月、翼・若林が復帰し、ガッツ(歩兵力)が追加される。

3月、ポーランド代表のマッハーが始動した。

マレーシアを制圧。アジア代表となった。

…と、ここで問題が発生する。


マレーシアから、次の試合会場への移動ができないのだ。
次の試合会場は中東マップにあるUAE代表になるはずなのだが、このマップから中東のエリアを指定することができない。
(インドはマップ上インドネシアと設定されており、またここに城(サッカー場)がないことから、そのマップ部分を選択することができない。)

仕方がないので、軍団を使用して移動させる…が、移動しなかったので方針を変更。

一応試してみたところ、マレーシア→中国→ソ連(沿海州の部分)とクリックすることで中東マップにたどり着くことができた。(逆は不可)。



だが、もっと後に問題点となる箇所がある。
この南北アメリカと欧州・アフリカを結ぶここ(本来であればアメリカ沖の練習試合・および南米の下中央部より伸びる線で繋がるはずの城(サッカー場)。欧州側からも同様に伸びている)は、どこからもアクセス不能な地域となっている。
ここは、軍団を駆使して攻めなければならないようだ。

ちなみに、ゴニョゴニョをしたところ、ここは「本戦予選トーナメント」というサッカー場名となっており、地域は日本に属するようだ。

…まあそんなこんなでUAE代表を下し、中東エリアに橋頭堡を築いた。

1995年9月

モロッコ代表を下し、ワールドカップへの挑戦権を得た。


なんと南米で面白いことが起きている。
先に決勝に進出し、代表選考会に進出したのはサンパウロのほうであったが、もう一方であるフラミンゴが決勝を奪い、そのまま南進を続けている。これがトーナメント、なのか。


イタリアにいたっては、イタリア代表が3つも爆誕している。それぞれ旧ミラノ、旧インテル、旧ユベントスなのだが、ミラノが先に決勝に進出し、決勝がユベントスに臣従志願…書いているだけでもよくわからない。そんな展開になっている。

1995年10月、本戦予選トーナメントの包囲(試合)は無事行われているようだ。

1995年11月、サウジアラビア代表を服属。
1995年12月、フランス代表が結成。

1996年2月、本戦予選トーナメントに勝利。

1996年5月、アメリカ方面に進出。そういえばだが、国表示切替での移動は可能なようだ。

1997年

1997年2月、南米に橋頭堡を築く。南米から闘っていく。

ブラジル側は主要拠点を落とせば逃げ場なしで崩すことが可能だ。

1997年7月、ドイツ代表が結成。


1997年12月、ようやく欧州に橋頭堡ができる。
南米はブラジルが壊滅、ウルグアイも徐々に兵力を削っている状態だ。


1998年1月、イングランド代表がフランス代表より鞍替え。また同盟関係にあったイタリア代表を従属。

1998年2月、ブラジルが従属志願。それに伴い大量の捕虜を解放したため、連打したところ一気に出陣までスキップしてしまう痛恨のミス。

1999年まで一進一退が続いたが、1999年5月にドイツを下す。残るはオランダとウルグアイのみに。

1999年10月、ウルグアイを下す。


1999年11月には最後まで抵抗していたオランダを下し、W杯優勝を成し遂げた。

感想

冒頭でも述べたが、私はキャプ翼の知識がほとんどない。ある人なら、もっと楽しめるのだろう。
ゲーム的な感想としては、トーナメント部分で相手軍をトーナメントを逆流してまで追い詰めないとならないのが難点だった。
現にゲーム後半になっても敗北チームが生き残っていたのはちょっとあれかな。
…まあ、先に決勝部分を奪っても、直接対決で奪い返される可能性もある、ってのも、トーナメントなんですかね?笑

…と中盤までは考えてみましたが、終盤は…それはそれで結構手強い試合にはなりましたなあ。

おわり

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